2005年4月アーカイブ

固い会議

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今いる研究室の先生の代わりに、○ヶ関方面の固〜〜い会議に出て参りました。
いい経験になると思ったけど、確かにいい社会勉強になりました。

つか、とにかく終止眠かった。。。

ここいいな。勉強になる。

今ならちゃんと理論を理解できるかな。10年ぶりにがんばってみるか。

昨日は大学/大学院時代の恩師J.M教授の50歳を祝うどっきり企画jの一部に参加してきました。
リムジンに乗せられて、顔なじみのライブハウスがあると連れてこられたJ.M教授、到着すると店の人から「次のバンドは、Mr. Internetsです。どーぞ」。なぜか俺らが登場して、後ろからアドグルの人が大勢押し寄せ、びっくり。Two of Us、Birthdayを演奏し、最後はルイジアナ・ママをJ.M教授をボーカルにして一緒にやりました。かなり楽しかった。

本番前の2時間、初めてみんなで練習したんだけど、初めは「これは見せるにはまずいんじゃないか」、という感じでしたが、なんだかうまくまとまって良かった。本番はミスりまくりましたが、盛り上がりまくってたので良かった良かった。

この企画をしただっちは天才だと思った。名古屋からはるばる来たみわっちはえらい。

その後2次会、3次会、4次会とやり、朝帰りました。というか、4次会で朝4時半とかから王様ゲームをやるとは思わなかった。面白かったけど。。。林は相変わらずだった。今池さんはやっぱりさすがだった。

貧乏なEditor、viはもう卒業して、Emacs始めます。

あんまり使えないEmacs。それは約10年前のThinkpad 230CsでUNIX用にとったdisk領域が小さすぎて、Mule/Emacs or Cannaという選択を迫られたせい。
Cannaを選び、日本語対応viクローンを渡り歩き、nviでD論も含めたすべての論文を書いてきました。

でも、もう卒業します。
ちょっと色気を出して、Emacs、使うことにしました。
宣言しておくと使わざるを得なくなると思って、宣言しておきます。
それだけ。

fainmansansaigonobouken.jpg このシリーズの完結編なのかな。ファインマンが死の直前の約10年間追い求めていたものについて書かれている。

発端は珍しい切手を作っていた「タンヌ・トゥーバ」という国を知っているか、と親友の地理教師にファインマンが尋ねたことであり、調べてみるとその国はソビエト領になっていた。首都の名前を見るとKYZYLというまともな母音が無い名前で、こんなところは行くしか無い、ということになった。


とにかくこのソビエト領に行くための努力がたくさん書かれている。10年くらい掛かりやっと招待状がソ連科学アカデミーから届くのだが、それが送られた日付の4日前にファインマンは亡くなった。

ちょっと悲しい物語であったけど、「とてつもないことを実現できるものとして実行に手を尽くし、途中で出くわすすべての困難をパズルと考える」という考え方は勉強になった。

ほとんど移行した。動作にもっさり感があるものの結構使いやすいし、何しろ安定してるのがものすごくいいね。どこぞのOSと比べると。しかもUNIXなのに色物だし。かつて夢に見ていたOSだなぁ。。。

nvi突っ込んだり、kinput2-macimを入れたりした。
OS Xハッキングが役にたった。

こんな感じ。こじんまり。

気に入るのが無いので、久しぶりに自分でTeXインストール。

finkで入れたgs(AFPL 8.14)を、ここを参考にMacOS X付属のヒラノギProフォントを使えるように変更。

後はここを参考にインストール。
- texmf-2.0.2を解凍
- teTeX-src-2.0.2をwithout-xdvik/oxdvikでコンパイル。
- ptex-texmf-2.1, ptex-src-3.1.3
- dvipsk, udvipsk
- dvipdfmx-20050201
- xdvik-22.40y1

TeXなんてインストールするの何年ぶりだろうか。かつてそういえば、某女子大学のTeXを数年間管理していたことがあるな。

とりあえず、自分の論文はjisでコンパイルできるようになった。どうもやっぱりjisが落ち着くな。

EasyPackageのディレクトリ展開が気に食わないのと、pkg-xxxで入れないで個々に入れたTeXがしっかり動かないのがむかついて、全部消した。Finkを入れた。/sw以下に入れてくれていい感じ。

この文献管理ソフトはいけてそうだなぁ。まだ開発中。
- BibCompanion

acrobatだとか色々入れてみた。まだTeX環境が使えるものじゃないのが問題だなぁ。これをなんとかせねば。

あまりにコメント・スパムが多くて、「きぃぃぃい」と思って消したら、最近頂いたコメントも誤って一緒に消してしまいました。

よっすとmamikoちゃんから頂いたのは覚えてますが、ほかに何があったのかよく覚えてません。ごめんなさい。

ちなみに、塾高よくがんばった! > よっす
Burning Manはね、あほやね。 > mamikoちゃん

とりあえず、EasyPackageというパッケージシステムを使ってTeX環境を作ってみた。
後X11サーバをダウンロードしてインストール。

codecをいくつか入れる。
- http://www.3ivx.com/(http://doctor.3ivx.com/からDivX Doctor IIも入れる)
- http://homepage.mac.com/hmason/mac-ms-mpeg4v1/
- http://homepage.mac.com/hmason/mac-ms-mpeg4v2/
- http://illadvised.com/~jordy/ (iTunesでoggを再生するためのプラグイン)

ブラウザでpdfを見るplugin
- http://www.schubert-it.com/pluginpdf/

が終わる。

今日やったこと
- 片付けと机の掃除
- D論製本版配り
- 報告書の手伝い
- 軽く最後のミーティング
といったところ。

いつも通り終わったが、机がきれいになってるところ以外は全くいつもと変わらない。
今日でSFCとはさよならなのだが、うーん、現実味が無いなぁ。。。

さて、せっかくなので大学/大学院時代でも振り返ってみるか。
B1: 入学。HR/HMに浸かりギターばっかり。しょっぱな先生がK本先生とTAがT本さん。これが人生の落とし穴だとは後に知ることになる。T本さんにWindows3.1で動作するEmacsを入れてもらいに行ったらBSDになって帰ってきた。UNIXと戯れ始める。家で空き巣と鉢合わせ。スズメが車に当たり、内科に連れてくも死亡。真夜中先輩と石川公園に埋めに行く。その次の日(次の次の日かも)飛べないスズメを動物病院に連れて行こうと思ったら手から脱落、歩き回り湘南台ダイエー横の下水溝の穴に落ちて脱出不可能に。多分死亡。二日の間に2匹を結果的に殺した。むしゃくしゃも殺す気も無かった。
B2: 麻雀を打ってくれる人がいないのでいじけながらバンド活動。でも、C言語を真面目にやっていたなぁ。シェルとか、カーネルソース読むためにctags/etagsクローンとかCをHTMLに変えるスクリプトとかを作っていた。Interop'96に参加。
B3: O助教授に拉致されATM勉強会へ。一泊二日の二日目には、ホワイトボードに今後1年の自分のスケジュールが勝手に書かれていた。OSを勉強したくて入った研究室だが、いつの間にかにルータが対象になっていた。Interopで、Vegas, Atlantaに行った。MagicPointをVFLib対応させたりもしてたなぁ。
B4: 研究計画書書く。卒論書く。卒論はかなり楽しかったなぁ。OSPF内部のトポロジ情報を使って通過ルータを予測したり、ALTQをCSRに移植したりした。このくらいまではとても楽しかった。Javaの勉強がてらにASN.1のBER(Basic Encoding Rule)らへん+SNMPを実装して、OSPFv2-MIBを使ったOSPFViewを作った。Interop Atlantaに参加。

M1: OSPFViewでSNMPのオブジェクトIDを名前で指定できないことにむかついて、ASN.1のコンパイラ作りから始め、完全に没頭。とにかく寝てもさめても、どうやって誰もできてないあのマクロをパージングしてやろうかと悩み続けて苦しんだ。OSSというところから売り物のコンパイラが出て、それのマクロパージングがほぼ完璧なので鬱になる。しかも24時間サポートで400pのドキュメント付き。一人じゃ勝てないなぁ、と思って挫折。簡単なマクロはパージングできたが、完璧なものはできなかったなぁ。字句解析、構文解析とか自分でどうやったらいいのか、色々と考えたが、ほとんどが理論としてまとまっているのを後から知ってガックシ。はじめっから知っておけば、こんなに苦労しなかったのにと思った。他には、ケンと共にSFOからNYを目指して車の旅。時間が足らずシカゴで断念。リノヘ引き返してBurningManに参加。
M2: とにかくネタが無くて苦しんだ。MPLS+DiffServ的なことで行こうかと思ったが評価ポイントが定まらず断念。色んなことを考えてO助教授に持っていくがことごとく撃沈。鬱になって朝と夕の区別が付かなくなる。最終的にちょいとしたアイデアを思いつく。博士課程に行くには自分はダメ過ぎると思っていたが、J.Mにうまくはめられる(?)。フリーターで人生の見直しをするつもりが、博士課程で人生のどん底を垣間見ることになる。

D1: 何をしていたんだろうか。良く覚えてないけど、CRLで遊んだり学校で遊んだり。だいぶ良い身分だったのだが、自分の研究を進めることはできなかった。うだうだしてた。なんだか何をしてるのか、何がしたいのか自分でも良く分からない状態が続く。
D2: 渡米。とにかくうだうだしてたのの延長になってしまったのかもしれないが、こうあるべき、というのが強すぎて、そこにはまれない自分を攻めて落ちる。完全にダウン。自分の嫌な部分が鼻につき始める。
D3: 帰国。さっくりDを取ってしまおうかと思っていたが、フォーマル後にO助教授と話し、話がイマイチ面白くないのでその年取る事断念。OSの勉強を始める。とにかく楽しいことを追求したくなるも、特に見つからず。
D4: モバイルエージェントでDを取ろうと思って発表資料を作る。博士合宿前日にR.Wに見せ、止めるように説得される。おかげで元の路線に戻る。6月終わりに論文誌投稿。このストレスでアトピー激悪化。その論文を含めても、うまくストーリーがまとまらない。悩んで悩んで新しいアイデアが浮かぶ。こいつがいい感じで色気を醸し出し、D論の骨子ができあがる。最後の最後まで仮想ネットワーク関係がうまくはまらず、ストレスたまりまくり。ストレスがいやな感じで爆発して本当に困ったことになる。D論どころではないんだが、どうにかこうにか書き上げる。当初の目標の品質には遠く及ばなかったが、まぁまぁ及第点。一応O助教授にも褒められて嬉しかったなぁ。

こんな感じかな。学部・修士時代くらいまではUNIX環境だと色気の無いソフトばっかりで、何かを作ってるのは楽しかった。色んな意味でM1まではとても希望にあふれていたなぁ。いつからかそういうのが無くなって、惰性で生き始めたような気がする。全てが中途半端に思えて、全然充実感が無かったなぁ。まぁ、最後の最後で出たアイデアのおかげで救われた感があった。

とりあえず、この10年、自分にとっては良かったのか悪かったのか分からんけど、最後に大人の階段をやっとこさのぼり始めることができて良かったな。今後もちんたら登っていきますか。

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