2005年3月アーカイブ
MacOS Xへの移行。
とりあえずOutlookのスケジュールをicalendar形式にして吐いてくれるこのマクロを使ってファイルを作成。そのままだと文字化けするので、nkf2の-wオプションを使ってUTF-8に変換。
そのままicalに食わせておしまい。簡単だ。
良くやった!!!
謝恩会会場にて有志で彼らと共に塾歌を歌いました。リアルタイムでは無かったんだけど、それなりに楽しかった。
塾内のつながりの強さを感じた一方で、ある意味信仰くさいものがあったことは否めない。
でも塾高ナイン、良くやった!!祝ベスト8!!
学位授与式の後、夜から謝恩会。
Prof. J.Mの50回目の誕生ということもあり、また、OB/OG同窓会も兼ねていたのでかなり盛り上がりました。懐かしい面々と話せて楽しかったー。つか、ふるととりが結婚するのはちょっとびっくりだなぁ。
かなり楽しみました。幹事をしてくれた方々ありがとう。
3/29に三田キャンパスにて。
全体の式では各学科の代表者が受け取る感じ。
その後に各学科ごとに別れて、授与式。博士は一人一人壇上に上がり、学位記を読み上げてもらって授与されました。中学校以来13年ぶりくらいで新鮮だった。
修士の人も全ては読み上げないものの、全員一人一人壇上に上がっていくので、ずいぶんと時間が掛かった。受け取ったら流れ解散なのにもかかわらず、W氏は受け取る順番が最後から2番目という快挙を達成。おかげでえらいこと待たされた。
でもまぁ、そのおかげで色々とお世話になった事務の人に最後挨拶ができて良かったかな。
とにかく学生生活最後を飾る式ということで感慨深かった。
その他の写真(rg標準パスワード)
火曜から金曜日まで合宿。軽く飲んだくれ。
土曜日、地元の友達が祝ってくれた。山利喜行ってカラオケ行って朝まで飲んだくれ。
昨日は大学時代の友達と渋谷で飲んだ。卒業以来の人が二人くらいいて、11時くらいまで飲んだくれ。
んー。今日はお休み。
塾高、甲子園一回戦突破!!!
良くやった!!!めちゃくちゃ熱かった!!!
PowerBookを触り始めた。とにかくきれいだなぁ。
今までのOSでは感じられなかったものだらけだ。でもクリックがちょっと固いのが嫌かな。
- office入れた
- ○元のここを参考にcontrol/capslockをswapした。
- Desktop Manger: くるくるしてちょっと感動
- zaurus用ドライバ: http://www.lucid-cake.net/osx_zaurus_usb/index_en.html
- ZiCal: http://noir.s7.xrea.com/archives/000109.html
- thunderbird
- http://www.dsitri.de/wiki.php?page=ZMacSync
クリック固いのは、どうも何かがスタックしているようだ、ということが判明。
交換かなぁ。めんどくさい。
血の繋がらない姉貴につれられ、一緒に来ていた銀座のオカマのママさんと銀座でご飯。ママさんにご馳走になった。
その後、六本木パークハイアット東京にあるMADUROというジャズ・バーへ。かなり未知の世界だったなぁ。かなり高いけど、雰囲気は抜群。演奏はピアノ、ベース、ドラムのトリオでかなり良かった。普通にこういうとこ来てー、と思いつつ。
次に麻布十番のLIFE CAFEへ。こっちは安らぐなぁ。
この日、タクシー代以外ほとんど払ってもらいました。本当にご馳走様でした。
新しく覚えた単語。「肉払い」、「改造人間」。。。。
写真全部無いけど、エントリ公開します。写真もらったら随時載せます。
2005年3月18日、僕はこの日を絶対一生忘れません。今までの人生の中で最も素敵な時間を過ごさせてもらいました。本当に本当に素敵な一日でした。感動しました。
こーさくと、かずきと、どんくんと、後数人、まぁ5人くらいで博士号取得祝い+送別会を開いてくれるんだろうなぁ、と思って行きました。そしたら、一体何人来てくれたんだろう。。22人くらい来てくれていました。本当にびっくりしました。でも正直に嬉しかったです。うまく素直に表現できなかったけど、じーんとしました。
平日の忙しい中来て頂いた、修先生、石田さん、やす、ふにゃ、しょー、よっす、kay、げん、入野、白畑、佐川、たにっちょ、みゆ、かず、まーき、こーさく、かずき、どんくん、とーみね、空君、chai、ミッチー、金井、本当に本当にありがとうございます。わざわざ僕のために貴重な時間を取ってもらっただけで本当に嬉しいです。ありがとうございました。
女装して司会進行してくれた、こーさく、かずき、どんくん、本当に面白かったよ。ありがとう。メイド服着て来てくれたこーさくはすね毛まで剃ってくれて本当にきれいだった。そのこだわりは君を大きくすると思う。かずきのは一体誰なんだろうと思ったけど、中々はまってた。キューティーハニーみたいだった。チューしたとき髭痛かった。どんくんのチャイナドレスは一番色っぽかったよ。次は胸周りを絞ってから着てみるといいのかも。どんくんの乳首の場所だけは良く分かりました。ほんとにありがとう。
パラパラ踊って見せてくれたミッチー、とーみね、空君、本当にありがとう。ミッチーのパラパラは常々見たいと思っていたけど、まさかこんな形で見せてくれるとは思いませんでした。とーみねは割と普通に踊ってて、二人ともかっこよかったよ。でもね、とにかく、ぎこちない空君の動きとその頑張りが僕の感動を誘いました。思い出すだけでもじーんと涙がにじんできます。3人とも本当にありがとう。
急な振りにもいつもどおり対応して、場をつないで、常着トラ柄パンティ一丁で割り箸をケツで割ってくれた○田さん、「三つの木の話」、二つ目までは良かったよ。三つ目、分かる人あんまりいなかったみたいで残念だった。割り箸うまく割れなかったけど、僕の心の壁は砕け散りました。本当に心底尊敬してます。本当にありがとうございます。
ビデオレターくれた金井、田中君、南さん、本当にありがとう。会場がうるさくてあんまり聞こえなかったけど、なんかああいう形で見るといつもと全然ちがくて面白かったよ。その後のVIPからのメッセージ、本当に感動した。久しぶりに腹が痛くて涙が止まりませんでした。
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ずっと僕に内緒で企画を進めてくれて、音頭を取ってきてくれたこーさく、かずき、どんくん、とーみね、本当にありがとう。うまく言えなかったけど、心の底から嬉しかったよ。みんなが僕を祝ってやろうと思ってくれた気持ち自体が本当に嬉しいかったです。
二次会庄屋にぞろぞろと、ここでこれまで盛り上げて頑張ってきてくれたかずき、どんくん、たにっちょが力尽き果ててしまったけど、その場に一緒にいて、ありがたくてありがたくて本当になんか切なくなりました。本当に頑張ってくれてありがとうね。本当に嬉しかったよ。
三次会は石田さんお勧めのComfieというバーに石田さん、やす、とーみね、ちゃい、みっちーで行きました。とにかく雰囲気のいいお店だったけど、やすと大声で議論をしてしまって、だいぶ雰囲気を壊しちゃったかな。でも、やすが何を考えていて、どうしたいのか良く理解できた。やっぱりやすは夢を追うタイプで、俺は夢を諦めてしまった人間だなぁ、と感じたな。これから前向きに頑張ろうと思いました。
四次会も同じ面子で次は、とーみねお勧めのラ・フェスタというお店。この店も本当にいい雰囲気で、場所も分かりづらくていい感じでした。色々石田さんと話してやっぱりこの男は俺とは視点が違いすぎると思いました。だからこそ、その視点で見た僕の研究を客観的に話してもらえると、ものすごくためになる。
朝になり、解散しました。
村井研究室、足掛け10年いました。その間、自分勝手なことばかり、いい加減なことばかりして、適当なことばっかり言って、自分自身、特に大した成果も出せなかったこの6年間はどちらかというと自分の研究室生活に対して否定的なイメージがありました。でも、こんな素敵な研究室の仲間に囲まれて、祝ってもらえて、案外狭い視野で判断してたけど、ちょっと視野を広げたら実際にはものすごく良い年月だったのかもと思いました。やる気があって面白い後輩がどんどん来て、その成長を見ながら、社会に出て行く姿見てて、勉強だけじゃなくて、一緒に笑いあえたことが本当に素敵なことだったと思いました。最後の最後で、かわいくて大好きな後輩達が僕を慕ってくれて、祝おうと思ってくれて、こんなに企画を考えてくれたことだけでも本当に胸が一杯です。あそこまで色々なものを用意するにはそれなり時間も掛かっただろうし、それに貴重な時間を割いてくれたわけで、そういった苦労とか、先輩としては何もしてやれなかった僕のためにやってくれたこと、その気持ちが何より本当に嬉しかったです。
これから違う研究室には行きますが、そこで頑張って一旗挙げてやろうと思います。
本当に素敵な思い出をありがとうございました。
2005年3月19日
ImaQ
光デバイス関連の研究室の人達とミーティングしました。
光パケットスイッチの実現性などに関していろいろと勉強させてもらいましたが、思っていたような利点が無かったのが残念でした。やっぱり環境問題なのか、というところでした。
でもおかげで今後あるべき姿が見えてきた気がしました。
また、光系の色んなデバイスの最先端が知れて良かったです。
| 本屋で何気なく手にとって見て、思わず買った本。とてもよくまとまってて、目から鱗な部分が沢山。なんか最近こういう本を読むことが多いなぁ、と思いつつ。 |
自分を否定的に見ることで成長をしようというモチベーションにする癖が昔からあって、更に完璧主義的な部分があったせいで、やらなきゃいけないことを後回しにしてしまいギリギリになって焦ることが多い。3年くらい前に破綻したんだけど、そのときに自己流で編み出した考え方の問題点を発見法とか、考え方の変え方とかが正に載っていてびっくり。しかもちゃんと分類分けされて、自分では考えつかなかった方法とかとあってよさげ。
ある行動を妨げる三つのレベル
思考レベル: 「ーすべき、-でなければならない」等の心情体系(こだわり)が不都合に作用している
感情レベル: ネガティブな感情を抱えている
行動レベル: やるべきことが漠然としている
感情レベルまでの取り組みは自分自身で試行錯誤してやってきたんだなぁ、と思うが、こういう分類自体してなくて判然としてなかったし、もっと掘り下げてあって良し。
感情レベルでは、過去の失敗例を引きずって「どうせまた失敗する -> 失敗 -> やっぱり失敗した」という意識が根底にある。過去の行動による結果、原因は棚上げして、そのときの行動をとにかく認めて自分を許すこと、「その行動を選択したという判断をそのまま受け入れる」ことが重要。さらに自分自身を肯定的に見れるようになること。
行動レベルでは、行き詰まってしまったときにその原因を追究するのではなく、「理想的な目指すべき状態」を想定してそれを実現するにはどうすればいいのかを考える「解決志向」が有効。次の4つの質問を自問する。
1. どうなったらいいだろうか?
2. 理想の状態が100点満点だとしたら、今の状態は何点だろうか?
3. 今までにどのようなことが役にたっただろうか?
4. 今自分にできることはなんだろうか?
執着を手放し全てを受け入れる
執着を手放すことで楽になるのは、仏教の教えと同じ。いったんは自分の欲求を強く願っても、いつまでもそれを意識しない。意識し続けるとエスカレートする。その考えを持ち続けずに手放し、どのような結果も全てあるがままに受け入れる。思い通りにならないのが人生だとしっかり認識してあるがまま結果を受け止める。
| 伊藤守著。この人の本は素晴らしい。挿絵も素敵。とりあえず誰にでもお勧め。600円だし。
どちらかというと人の話を聞くのは得意なほうだと思っていたけど、人の話を聞くってこと、コミュニケーションってのがどういうことか勘違いしてた。未完了のコミュニケーションを作られてきたし、作ってきたなぁ、、、と思うこと沢山。 これから色々と試していくか。 |
次は、「もしもウサギにコーチがいたら―「視点」を変える53の方法」を読もうかな。この人の専門はコーチングだしね。自発的に行動をしてもらう方法とか、わかったらいいなぁ。
昔から効率や合理性ばかり追求した挙句、なにはかとなく考えてきたことを書いてみる。
色々勉強したり情報収集したりしてると、最終的には物事をしっかり理解して身に付けることを当たり前の目的にしたりするんだけど、やっぱりそのための本道は「あるものごとに正面から取り組んで、試行錯誤や失敗を繰り返し、それに対する本質的な理解を深めて自分のものとして身に付ける」ことだと思う。
だけど、効率や合理性を追求すると、色々試したり失敗したりするプロセスは、「時間の無駄」とか「失敗ばかりの場合感じてしまう自己の無力さへの恐怖」とかに思えてきてしまって、どちらかというと回避したくなることが多い。
そうするとどういう行動を起こすかというと、「理解して身につけている人に教えてもらう」。すると、とりあえずそのプロセスをすっ飛ばして、「理解」することができる。それは誰かが理解したことを「知ること」であり、その理解を「覚える」ことに他ならない。
確かにこうすることで一応は理解し、覚えることで身に付くのかも知れないけど問題は、その「理解」は他人が行った理解の一側面でしかなく、そのものごとの周辺にある他の要素に関しての相互関係や繋がりの多様性を理解しているわけではない。
あるものごとには他に関連する要素があり、それぞれが相互に関係している。それを色んな角度から視点を変えて自分なりに試行錯誤していく過程で、だんだんとそれぞれの関係が理解でき、そのものごと自体の本質を理解できる。
これに対していきなりある理解、つまり「答え」だけを与えられても、本来の意味での理解や身に付けることにはそのままでは繋がらない、と思う。
どうも正面から取り組むのが苦手な人が自分以外にもいるようなので書いておくと、こういった他力本願の理解の仕方をすると、最終的には何も残らないので返って時間の無駄。どんなに時間が掛かろうとも自分なりに追求して自分なりに理解することでやっと自分のものになる。そして身に付けた知識は自分の財産として残るわけだ。
と、こういうことを考えていると、やっぱり教えるほうってのは難しいなぁ。知識を与えるよりは、自分から知識を追求する態度をどうにか教えなければならないし。このあたりは相手にもよるし、一概には言い切れないし。難しいけどはりきっていこう。

ここにおいてあるカーネルを入れて、クロックアップしてみた。
echo 162 > /proc/cccr_change
で、default(161)の200MHzから236MHzにアップなそうな。
んー、なんかの計算アプリとか使わないと差が分からんなぁ。体感できない。
でも、グラフィックアクセラレータのクロックを
echo 100 > /proc/driver/w100/fastsysclk
とかしてデフォルトの75から100に変えると、素晴らしい!!!
とにかく画面の切り替わりにきびきび感が出てきた。ちょっともう少し愛せそう。。。
/etc/rc.d/rc.localにその二行を追加。rc.sysinitからrc.localを呼び出す部分をコメントアウトしても、呼び出されない。めんどくさいので、rcの最後にrc.localを呼び出す行を追加。
まずは持ち歩くところから始めようかな!
仏教では、人が生き方や仕事・勉強、恋愛について思い迷い、悩むことを「煩悩」という。その数は無数。
煩悩は人間を振り回す。たちの悪い煩悩は「三毒」と呼ばれ、「貪欲(とんよく)」、「瞋恚(しんに)」、「愚痴」の三つ。
「貪欲(とんよく)」は、欲望のままに貪ってやまないこと。人間の欲望とは満たしても満たしても次々に新たなものが頭をもたげてきて、一度絡め取られたら貪欲の道まっしぐら。
「瞋恚(しんに)」は、怒りを露にすること。自分の判断こそが正しいと思い込んでいたり、瞬間的に感情を爆発させても問題は解決しない。怒りの種はどこにでも蒔かれている。
「愚痴」は、不平不満をいうことではなく、物事を正しく判断できず、愚かな言動に走ることである。
煩悩を断ち切れば迷いのない生き方ができる。しかし煩悩の種は尽きることが無い。これに対処する手立てはある。
「物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される」
あらゆる物事は自分の心が作り出すものであり、あらゆる煩悩も自分の心が作り出したもの、自分の心が表れたものである。とすれば心の持ちようが重要となる。
欲望が湧いてきたら、「これは自分の心が作り出したものに過ぎない。客観的に見ると欲望の対象は実在しない。煩悩なんてただの絵空事に過ぎない。」と思うようにすると、だんだん煩悩は消えていくそうだ。
仏教の教えでした。お釈迦様、ありがとう。
大人になるって何なんでしょ。
28にもなって考えることじゃないとは思うけど。。。
この大学院6年間を振り返ると、惰性に流されて、自分の足で人生を歩まずに、本当にやりたいこととか勉強したいこと、色々諦めてたな。先の結果を考えて、これまでの人生のどこか問題のある部分を挙げ連ねて、勝手に悲観的・否定的になって挑戦することもしなかった。諦めることが大人になることだと思っていたのかな。適当に卒業できればいいと思ってきた。
でもやっぱり理解したいと思うことは理解したいし、勉強したいことは勉強したい、やりたいことはやりたい。今更とか思わずに、無理でもなんで無理か知りたいし、だめでも挑戦してみたい。自分で作った型にはまろうとして、この思いを抑えつけると反発がものすごくて、どこかでやっぱり爆発しちゃう。
純粋に数学が好きで勉強していた中学時代、ギターから音が出るだけで楽しかった高校時代、プログラミングの楽しさに夢中になった学部生時代、なぜか時間が進むにつれて「これだけ時間がたったら、この学年なら、このくらいはできて当たり前」的な型に自分を押し込めようとする。すると今度はその型にはまれないと自分の首が絞まり始めて、自分を否定し始め、本来感じていた純粋な楽しさを忘れる。自己を保てなくなり、そうならないためにその型にしがみつく。楽しみが動機であった純粋な成長は無くなり、必死に自己の正当性を守るために何かを「しなければならなくなる」。そしていつか崩壊する。
どうせみんな平等にいつか死ぬし、だったら死ぬまで「自分らしく」面白おかしく生きるしかない。何の型にはまる必要も無い、何が達成できる必要も無い、誰に遠慮する必要も無い、かっこややり方を気にする必要も無い、結果なんて考えずに今やりたいことをやりたいようにやればいい。そしたら後悔無く死ぬだけだね。
今回の進路は、自分で考えて自分で決めたもの。誰に影響されたわけでもなく、誰の指図でもない。多分小さな決断だったけど、俺にとっては久しぶりに自分で決めた大きくて大切な一歩。これからは自分なりに考えて、自分の枠を広げて、流されないで人生を満喫しようと決めた。
社会を知らない大人になりきれないガキの理想にしか見えないが、そうじゃないと生きてはいけない。貫いてみて失敗してのたれ死んだら、それが俺の人生として受け入れるのみ。

| 俺の尊敬する人物、リチャード・ファインマン。量子電磁力学でノーベル賞を受賞し、
NASAからの圧力に屈せずにスペースシャトル・チャレンジャー号の事故原因を究明した彼の様々な生き様を描いている。
常に物事を根底から疑い、自分で全てを観察し考え、自らの方法で理解する。何かを発見し、その理解する過程に楽しさを追求する。彼のように生きれたら、と憧れてしまう。 |
彼も指摘するとおり、彼のお父さんの教育が素晴らしいと感じた。物事は全て自分で観察したり、本当はどういうことのなのかをしっかり自分なりに考えてみる、という姿勢を、ファインマンが赤ん坊の頃から教えてきた。例えば大英百科事典に書かれた恐竜の大きさを読むと、一度本を閉じて、実際にはどのくらいの大きさなのか、全ての事柄について実際にはどういうことなのか出来る限りの解釈をつけてくれたそうだ。だから、何かの名前を知っていることと、何かを本当に知っていることは別であることをしっかり理解できたそうだ。他のエッセイにもあるので読むのは二回目だったりするが、「ものごとをつきとめる喜び」と「科学とは何か」は教育という面でものすごくためになる。
気に入ったファインマンの話。
僕はね、知らないまま生きることを覚えたんだ。自分が成功しているという確信が持てなくても、いっこうに平気さ。科学について前にも言ったことだが、自分が何をやってるのかわからないのを悟っているからこそ、僕の生涯はもっと豊かなんだ。無知を悟れば悟るほどこの世界の広大さがわかって、ますます愉快になるよ!
| という本を読みました。「愛と心理療法」のスコット・ペック著。
この本には、自己に全く疑いを持たずに全ての問題を外部に求め、周りの人間に大きな悪影響を与える人々について書いてある。色々と勉強になるし、こういう人が身近に確かにいるなぁ、と思いました。 |
子供の発達の一般法則
「親の愛に著しい欠陥があるときは、子供はその原因が自分自身にあると考えて反応する可能性が極めて高く、そのため、非現実的なままで否定的な自己像を見につけるようになる。」
邪悪な人間の最も特徴的な行動
「自分は非難の対象外であり、完全性という自己像を守るために、常に他人をスケープゴートにし他人を犠牲にする。精神的な成長を回避するために政治的な力を行使すること。すなわち、あからさまな、あるいは隠された強圧をもって自分の意志を他人に押し付けること」
自己責任の放棄はあらゆる人格障害の特徴となっているものであるが、これに加えて邪悪性は次のような特性によって識別可能。
(a)定常的な破壊的、責任転嫁的行動。ただしこれは、多くの場合、きわめて隠微な形をとる。
(b)通常は表面に現れないが、批判その他の形で加えられる自己愛の損傷に対して過剰な拒否反応を示す。
(c)立派な体面や自己像に強い関心を抱く。これはライフスタイルの安定に貢献しているものであるが、一方でこれが、憎しみの感情あるいは執念深い報復的動機を隠す見せ掛けにも貢献している。
(d)知的な偏屈性。これはストレスを受けたときの軽度の精神分裂的思考の混乱が伴う。
ナルシシストの他人に対する無神経さは、教官の欠如以上のものにすらなりうる。ナルシシストは他人を「見る」ことすら全くできなくなることがある。 われわれ人間は一人ひとりがユニークな存在であり、分離した存在である。それぞれのユニークさが、それぞれの「私という存在(アイデンティティ)」にしているのである。一人ひとりの魂には境界があり、また、われわれが他人と付き合うときには、この境界を尊重するのが普通である。自分自身の自我の境界を明確にし、また、他人の自我の境界をも明確に認識することが、精神的健全性の特性でもあり、前提条件でもある。どこからどこまでが自分で、どこからどこまでが他人であるかをわれわれは知っていなければならない。
3/2付けで博士(政策・メディア)を取得しました。
この4年間、色々と感慨深いものがありますが、本当に取れてよかった。
皆さんの御指導、御支援無しには絶対に取得は不可能でした。
はぁ、、、やっと終わったか、肩の荷が下りた、というのが率直な感想です。
うれしいけど、ほっとしてるのが本音かな。
本当に皆さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
ImaQ@San Diego
